見出し 現在地→ 参集殿  どこに行きたい?

 

+ 世界の終りで
”生まれてきたこと”に、本当に意味はある?
生きるために生きることも出来ない。 生きたいと思う目的を追うことだって出来ない。
そんな私の、命の価値は何?

 

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廊下から、足音が聞こえる。
私は、その音の持ち主の目的地を、知っている。
この階には、私しか住んでいないから、訪ねる相手は、私しかいない。

 

「隔離病棟 202号室」

 

そこが私の、世界の全て。
生まれてから一度も外を知らない、私の世界。
こんな所に来るのは、大体いつもいまいましい医者たちくらいだけど、今日は、あいつだろう。
日付が変わって間もないこんな時間に、普通はこれないんじゃないかと思うけど、ドアの向こう、激しく響いてくる音は、きっとあいつだ。

 

相変わらず、ノックもしない。 挨拶もしない。
ばたばたと激しく走ってきた割には、それ以上何の音も立てずに入ってきて、いつもの椅子に座って、そしていつもの通り、何をするでもなく黙ってしまった。
だから、いてもいなくても、どっちでも同じなのだけど、私にとって、私にとっては、今夜は特別な日で、今この瞬間というのは、とても特別な時間だ。

 

「ねぇ。 生まれたことに意味があるならさ、私の意味は何だと思う?」

 

だから、というわけでもない。ただ、こいつとこうしているのがあまりにもいつも通りだったから、…私もつい、いつもと同じことを訊いてしまった。
けれど、質問なのにそいつは答えない。
実際のところ、いつだって、質問に答えてくれたことは無い。
ただここにきて、ここに、一緒に存在するだけ。
ノックもしない。 挨拶もしてこない。 花だって持ってこないし、それどころか、笑いもしない。話もしなければ、目線すら合わせない。
けれど、そいつの心は、なぜか私を見てくれている気がしていて、ほんとのところは、それだけでも感謝していたりする。
何でか知らないけど、こうして”最後”も来てくれたし、そんなに居心地が悪くないのは、どこか、自分と同じに見えるからかな。
正直、こいつが何でこの部屋に来るのかなんて、私は知らない。
私自身はこいつに面識もないし、私の保護者だった人も、きっとこいつがここに出入りしていることなんて知らないだろう。
何も語らない答えない、そんなこいつに、そう言えば何で私は今まで疑問を持たなかったんだろう。

 

こいつが、この何も無い部屋に訪ねてくるようになってから、何回になるだろうか。片手分くらいだった気もするけど、 どうだろう、もうちょっとは多かったかな。

 

「亜麻島 栞」

 

こう書かれたネームプレートが、扉の向こうには掛かっているはずで、その下には、 「面会謝絶」 ってプレートも仁王立ちしているはずなんだけど、…仁王立ちしながら昼寝でもしているのだろう。
勝手に入ってくるこいつを咎めた姿なんて、私は、一度も見た事はない。

 

 

生まれてからずっと、私は、自分の意味を探していた。
生まれた意味ってやつとか、生きてる意味ってやつだ。
いろんな人が、いろんな意味を持って生きてるけど、じゃあ、私の意味はなんなのだろう。
私にとって これはとても大切なことだった。
ほかの人も、こうして迷ったり苦しんだり、形は無いくせにとても大きな不安に押しつぶされて、幾度も幾度も、苛まれたりするのだろうか。
いつだって、私は考えてた。
みんな同じ人間なんでしょ?
それなら、うまくやっていけてるように見えるのは、私の勝手な錯覚なのかな。
―錯覚、だよね? そうだよね?
みんなそれぞれ蹉跌を踏んで生きているんだよね? それでも歩いていけるからこそ、笑えるんだよね?

 

それぞれが、それぞれの生きてる意味を目指して、
それぞれが、そうやって生まれた意味を満たすために。

 

だからみんな、笑っているんだよね?

 

 

―でも、じゃあさ、それならさ、
どこにも歩いていない私は、生きている意味はあるのかな。

 

そもそも生まれた意味は、一体どこに捨てちゃったんだろう。
―覚えてなんかいない。
なんてね…。 そんなの当然だよ。 持っていた覚えも、ないもの。

 

 

 

今からしばらく前、いまいましい医者がやってきて、私はもう明日の日は見られないだろうと言われた。
でも、そんな気がしていたから、私は黙ってた。自分の命って火の残りなんてさ、自覚してる。やっぱりねって、感じだった。
どこにもいけない、ここから出たことも無い私。出発もしていないのに、終りがやってくる。
わかってるんだ。わかってる。それは嘆いても見苦しいだけなんだって。私は、分かってるんだ。
終りは誰にでもやってくる。そういうものだって。…ちゃんと分かっているんだ。

 

それでもね、ほんとはくやしい。 ほんとは、ほんとに、くやしいって思う。
今まで何一つ、やりたいことなんて出来なくて、私の、私だけの意味を探すことも出来なくて、…こんな場所でも、こんな場所で、18年間もこんなつまらない場所で、それでも諦めないで生きてきたのに、私の火は、結局何も照らすことができなかったから。

 

ねぇ、生まれたことに意味があるならさ、私の意味は何だと思う?

 

いろんな人の、いろんな意味。じゃあ私の意味は…?
自分を粗末にしたことなんて一度もないのに、何一つできずに、ここにいる。
生きる目的、理由、その意味…、何一つ、見つからなかった。
生きている意味が、私にはない。それでも、生まれたことに意味があるなら、私はその意味だけでも知りたかった。
それだけでも、それを、本当に、それだけでも、それだけでも知りたかったんだ。
だってそうでしょ? こうして動かない体をベッドに預けて、ただ時を貪るだけの私の意味は、ここで”何もできないこと”だなんて、そんなの嫌。
そんなの納得できない。嫌。やだ!いやだ!私一人、独りだけなんて、そんなの嫌!
どうして私はこんな所に独りなのよ。どうして?独りはこんなにこわいんだよ?
それなのに、これが、私の、これが私の意味なの?なんで?
もうあと死ぬしかない私は、何の意味も持っていないのに、なんにもできずに待つだけ?ここで?独りぼっちで?

 

だからさ、そんなの納得できないんだよ。
私の意味は私のもので、私の心が決めるもののはずなんだ。誰がこのまま死ぬもんか!私だって、やりたいことが沢山あったんだ。
私だって、外を歩いてみたいし、走ってもみたい。学校も行ってみたい。友達も欲しい。
買い物だって素敵だろうし、好きなものを自分で選んでみたい。 似合わないかもしれないけど、お洒落だってしてみたい。遊びに行ってみたい。笑ってみたい!おいしいもの食べてみたい!知りたい!知って欲しい!私を知って欲しい!一人は嫌!!独りは嫌!!私を見て!!私に笑って!!恋だって、…私は知らないけど、それも、経験してみたいんだ!!!
私だって、私だってやってみたいことが沢山あったんだ!!!

 

 

 

なのに…なのに、何だって言うのさ、今まで、散々大丈夫とか言っときながら、今日で終り?
そんなの じ ょ ー だ ん じゃない!
朝までの残りあと数時間があたしの時間だって?ふざけんな!あたしは―

 

 

 

 

 

 

 

 

あたしは…。
くやしい。くやしいよ。―くやしい! 自覚してたつもりだって?平気だって思ってたって?
そんなわけあるか。

 

私にあと何が出来るだろう。…何のことはない、何にも出来ないだけ。
こうなればいいな、ああなれたらよかったな。そうだね、はいはい。でもそれは全部夢なのさ。
私の願望の何一つ、叶わない。
そうかい、そうだね、でもね、それでもね、それでも、やっぱり私は潔く諦めるなんて嫌だ!
何もかも全部駄目だって?知ってるよ。知ってるけど。全部駄目だったとしたって、諦めたくなんかない!せめて最後は、笑ってやる!
何度見たって、鏡の中の私は全然可愛くなんかなかった。がりがりで真っ白で…全然、女の子になんか見えなかった。
こんな私は、今まで一度だって笑ったことなんかない。
それでも、それでも私は、笑いたくなかったわけじゃないんだから。不恰好でも、ただ、命があるだけで、なんにも誇れるものがなくても、ここで生きたんだから。
たった一人で、18年も、独りで、こんなところで生きてきたんだから。だから!
今日が最後の命だったとしても、ただ、命があることだけを誇りにして、最後に笑うのは私だって、命の価値を思い知らしてやるんだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どこにいきたい?」

 

そう、決意した私の部屋に、この何もない世界に、声が生まれた。

 

一度も話すことなんかなかった。そいつの眼をみたことなんかなかった。ただ存在していただけの、どこか遠かったあいつが、そんなことを口にした。
それは、一体誰に向けられたのか。そんなの、決まってる。ここには、この階には、この部屋には、この世界には、私しかいないんだから。
どこにいきたい。どこにいきたいだって?
そうだね、ははっ、不思議だね。最後になって答えられるなんて。最後になって、訊かれるなんて。

 

窓から見える、私の世界から見える世界。生まれてからずっと広がっていた、狭くて灰色のひどく眩しく見えてた、なんてこともない、つまらない世界。そして、憧れた世界。
私を見つめるその眼に、私は答える。
私の世界から見える一番遠くの丘を指差して、命の覚悟を、言ってやる。

 

 

「この世界の終わりへ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼び止める声。二人分の足音。

 

切れる呼吸。ハンドルを切る音。響く排煙の音。明け方の闇。

 

暴力的な加速を続ける車と、黙ったままのこいつ。
それら一切を全部聞き流して、私は瞼をとじる。
これからの私は一方通行だから、振り返る暇なんてない。
最初から目的地を知っていたような、迷いの無い運転を続けるこいつ。
シートに深く倒れこむ私に、隣のそいつは寝るなと言った。

 

「寝たら、多分君はもう起きられない。」

 

その言葉は、少し衝撃だった。それは、私を私以上に知っている言葉だったから。
こいつが何で私の世界に来て、何がしたかったのか、どうしてあんなことを言ったのか、どうして私を連れ出してくれたのか。そんなの、何一つ分からなかった。
だけど、こいつは…やっぱり私のことを全部知っていたのだろう。
どこまで知ってるかなんて、こいつのことなんて、本当はどうでもいいことだったはずなのに。

 

そいつはそれ以上何も言わなかったけど、何だか見透かされているみたいに感じて、私は思わず俯いてしまった。
少しだけ、嬉しかった。

 

 

 

 

 

参道を駆け上がって、遊歩禁止の柵を越えて、初めて、自分の足で地に立って…
私は、海を見た。
空の白む、彼誰時。透明な波の音が、息を切らせた私の頬を撫でて行き、静謐な空気が、夜とともに後ろへ流れていく。
―私の居た場所へ。

 

「ここが、この世界の終わりだ。」

 

少し惚けていると、そんな声が聞こえた。
振り向くと、そいつは伏目がちに続ける。

 

「世界なんてな…綺麗なだけじゃない。―あんな景色を、世界と信じていた奴にとってみりゃ、尚更な。」

 

いつの間にか眼が合って、そいつはそんなことを言った。
二人の間に沈黙が流れた。

 

私は、酷く急に、悲しい、寂しい、と思い始めていた。
そいつの瞳にも、この景色にも、私自身が、全然現実感を感じられなかったから。
なんだ、意外と寂しいものなんだな、と思った。あっけない、なんて感情だったかもしれなかった。そう、思ってしまった。
大層に偉そうに格好つけて飛び出してみれば、あっという間だったんだ。
意外と、簡単だったんじゃないか。そんな風に、思った。
だから、今までの鬱憤とか、期待とか、そういうものが全部混ざって、私は、一体何を感じればいいのか分からなかった。

 

そして、その時の私は、きっと落胆した表情をしたのだろう。
そいつは、そんな私の様子を見ながら、それでもな、と言った。言った、その時だった。

 

 

急に、頬に光が差した。
不意を突かれた私を、一片の曇りも無い光が包み、それは、一瞬で全てを黄金色に変えていった。

 

初めに空が、染まった。
続いて風が、染まった。
同じように、雲が、染まった。
そして、世界が、黄金色に輝いた。

 

「見ろよ。こんな世界だってあるんだぜ。」

 

私も、光に包まれた。
それは、とても、とても温かいものだった。
そいつの言葉に、私は答えられず、ついと、涙が出た。
笑ってやりたかったのに、斜に構えて文句でも吐きつけてやるつもりだったのに、その全てを嗚咽が邪魔をした。

 

世界が、あまりにも綺麗に輝くから。私のことまで、包むから。

 

光に包まれ、温かくて鳥肌が立つ。
せっかくここまできたのに、景色が滲んで、やっぱり、うまく見えなかった。

 

「…どうした? 最後に笑ってやるんだろ?」

 

あいつが、そんなことを言う。―私はあの時、それを言葉にしただろうか。
わからない。でも、いい。そんな、ことはいい。ただ、ただ、ただ、ただ、私は、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

空を見上げた。―遠い空は、明るさを増してゆき、―世界が、命の輝きを詠い出す。
…冗談のように、私には、その流れが見えたような気がした。それは、きっと終りに近づいているからなんだろう。
終り。終り。命の、終り。命の、詠。流れていく。潰えても。生まれても。

 

「私さ、世界なんて嫌いだった。」

 

―自分のコトは、自分がよく、分かってる。

 

「誰も笑ってもくれないし、何の意味も教えてくれない。だからって、つながりを絶つとさ、本当に淋しくて、怖くてたまらなかった。」

 

―もう、時間がなくなってきたんだということも。

 

「それでも、誰も…誰も気づいてくれなくてさ…。」

 

…そして、いつも通り。そいつは、何も言わない。

 

「本当は分かってた。笑って欲しいなら、自分から笑いかけなくちゃいけないことくらい。 それでも…そんな鏡はやっぱり欲しくなかったし、やっぱり…誰もいなかった。」

 

…ただ、視線だけを感じる。

 

「わがままでも、ほかにももっとつらい目にあってる人が居るって、そう分かってても…それでも本当は、本当はさ、無償で笑ってくれる人が欲しかったよ。 私に、生きている意味を感じさせてくれる人が…。 生まれてきてよかったよって、祝福してくれる人が!」

 

…とうとう、足の感覚が無くなってきてしまった。
じわじわと、死が昇ってくる。
こ こ で 私 は 死 ぬ ん だって、嫌でも自覚する。
今まで誰も、誰も私の存在なんかを、…気にもとめてくれなかった。どこにも行くコトは出来なかった。最後だって聞いたって、受け入れたつもりだった。納得したつもりだった。覚悟したつもりだった。
―諦めたつもりだった。ここまでくれば、何かが酌量される気がして、ここまで来てみれば、何か納得できる気がしたんだ。

 

世界はとても綺麗で。輝いて。流れていて。潰えても。生まれても。続いていて。だから、ここで私が止まることなんて、なんの影響もなくて。止まらなくて。独りで、一人だけ止まるんだ。

 

「……っ! 死にたくないよ! 私だって、ずっと独りだったんだから! もっと自由に生きて沢山沢山やってみたいことあったんだから!!
毎日毎日、毎日知らない薬を注射されて、点滴だらけで、ご飯だって食べられない! 医者だって言う男たちを前に検査検査検査!! そのたびに何度も何度も服を脱がされて触られて! こんな、こんな目にあって、毎日恥ずかしい思いしてさ! それで、それでさぁ、挙句にもう助かりません!!? っ何よ…! 何よぉ…それじゃあ私は何のために生まれてきたのよぅ! 私は…ううっ…意味は…うっ…うっ……」

 

辛い。辛い。辛い辛い辛い!苦しい。苦しい。苦しい苦しい苦しい!
動かない足が、感覚の消えてきた足が言う。もう楽になれよって、みっともなくしがみ付くなよって言う。

 

「助けてよ…嫌だよ…死んじゃうなんて…嫌だよ…、私は…どこだって独りしかいないんだから…助けて…、ここに、ここにいたいんだよぉ……」

 

暗い。昏い。脈が動転する。息が詰まる。嫌だ。見えない。涙が。見えない。分からない。足が。揺れる。崩れる…

 

 

―天地が逆になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何かが、落ちてきたのを感じた。
とても小さな何かを感じた。
段々と、とりとめなく薄らいでゆく意識の中で、私はそれに気付いた。

 

それは小さな水滴だった。
少しだけ。ほんの少しだけ、私の額に落ちた水滴。
傾いだ私を抱えた、そいつの目の端に、光を浴びて輝く小さな雫があった。
ただ、真っすぐな眼をしていて、何か苦いものでも噛み砕いたような顔をしていて、そしてそいつは…

 

「俺は、君に生きて欲しかった。 沢山の素敵なことをして、想うままに生きて欲しかった。」

 

とても小さく、そんなことを言った。
そういえば、そうだ…あの時は深く考えなかったんだ。こいつが、何で私の部屋に来たのか。

 

「俺は無力だったから、何の助けにもなれなかった。 せめて傍に行っても、かける言葉すら思いつかなかった。 君の命の値段を…俺は買えなかったんだよ。」

 

それきり、そいつは唇を噛み締める。

 

…そいつの、そいつの言葉を聴くのは初めてだった。
何が苦しくて涙を流しているのか、…何を必死で噛み殺しているのか。
今まで―私は、今まで、こいつのことをきちんと考えたことがなかったことに気付いた。
何をするでもない。 ただ、私のベッドの隣で、椅子に座っているだけだったこいつ。
面会謝絶の私の部屋に幾度も来ては、何も言わずに、ずっと座っているだけだった、こいつ。

 

…こいつは…一体何で私のところに来ていたんだろう。 楽しいお喋りがあるわけでもない。 一緒に居て、何をするでもない。 面白いことなんて、何一つない世界だったのに…
そんな私のところに、こいつは、何で来てくれたんだろう…。 何で、―今いてくれてるんだろう。

 

 

 

―その時、私を抱えるこいつの力が、少し強くなった。

 

 

 

それは、たった少しの、ほんの少しの変化だった。 ほんの少しだったけど…私は、ほんとに今更ながらだけど、それのお陰で、それが分かった気がした。
こいつも…ずっと、ずっと何かに泣いていたんだろう。 ―何に? ―誰のために? それは…

 

顔をずらして、落ちる涙を受けとめた。
自分と同じ、命の味だった。
自分と違う、誰かのための味だった。

 

そしてそれは、私と同じ、私のための味。 ―そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

「…あんたは、さ、―名前、何ていうの?」

 

「…静治。 藤崎 静治だ。」

 

「せいじ、か…」

 

私は、こいつの名前すら知らなかった。
それどころか、何も知ってはいなかった。
けれど、ねぇ、笑ってよ。気付いたことがあるんだ。

 

「静治に逢えて、…よかった。 私ね―多分さ、私の意味が、見つかったと思う。」

 

私が知っていたのは、いつだって、私のことを真摯に見てくれてた、この瞳。
こいつは、静治は、いつだって、いつだって…、私のことを、この瞳で見てくれていた。
そして、
今、ここに、最後になっちゃった私の傍にいてくれている。

 

「そっか。」

 

そう言うと、静治は眼を閉じるようにして、笑った。 …笑ってくれた。 私に。
私の体が止まりそうだからだろうか、静治の体温が、よく分かる。 静治の心も、よく分かる。
あんたは、私のことを…。

 

ありがとうね、ありがとう。
遅いよね、そうだったんだね。あんたは、私の事を…。
でもね、それは、きっと私もおんなじなんだよ。 私は、あんたのことを…。 多分さ、そうだったんだ。 いつの間にか、知らないうちに、うん、いつの間にかだね。 気づかないもんだね。 だめだね、今頃さ、…恥ずかしいね。 こういうの、わかっちゃうとさ。 うん…でも、ね、でも、もう限界なんだ。

 

「ごめんね…もう動けないよ。」

 

「栞。」

 

「えっ?」

 

「好きだ。」

 

 

 

あは、あははははっ、あはははははははははははははは!!!!
いきなりだね!!! でもね、うん、えっとね、あは、あははははははははは!!
何ていうか、恥ずかしいね、恥ずかしいねこういうの、もう、ん、はぁ、嬉しいね、嬉しいよ!でも、悲しいよ!でも切ないよぉ!折角!!折角分かったってさ!!!

 

死にたくないよ!!!!!!!

 

 

 

 

「いいの…? そんなこと言って…。 世界(ここ)から居なくなる私は、 あなたの枷にしかならないんだよ…?」

 

ごめんね、ごめんね。こんな、ずるくしか答えられないのは…、怖いからなんだよ。
失くすのは、とても怖いこと。 命も、想いも。 だから、そして、私には、ごめん、駄目なの、怖いから、…こんな言い方しかできない。

 

「いいんだ。」

 

けれど、静治は、ゆるがない。…ゆるがなかった。

 

「多分、忘れないことが、―俺の意味なんだよ。」

 

 

 

 

ばかだね。これから私は、いなくなるのに。
ほんとさ、ばかだね。私なんて。

 

 

 

 

毎日毎日、何かをやってやるんだと夢見て、でも、一人じゃ何も出来ないことに自己嫌悪していた日々。
生まれた理由、生きていく理由、それが欲しくて、苦しかった日々。
でも、私には元々、そのやりたいことを実行する体も力もなかった。 だから、生まれた理由も見つからなかった。
死にたいなんて理由なんかなく、死んでしまうには、未練があって。 生まれた理由だけじゃない。生きている理由がずっと分からなくて苦しかった。

 

私は何で生きているんだろう。 何で、生まれたんだろう。
何をするためだったんだろう。 自分のために? 自分のことを自分で出来ないのに?

 

…見つからなかった。手に入らなかった。私は…私の意味を見つけられなかった。生きるために、生きていたい理由が欲しかった。
その気持ちは、贅沢だったのだろうか。 おこがましいものだったのだろうか。
考えても、分からない。それは、きっと、そして、多分ずっと分からないんだろう。
今まで生きてきた時間分考えて、それでも分からなかったのだから。

 

そう、思っていたのに。
そう…思っていたけど、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もっと早く…こうできたら、よかったな。」

 

互いに重ね合わせた場所を離して、言葉を紡ぐ。 もう、考えなくったっていい。 今更だって言われてもいい。 俗物だと言われてもいい。
もう考えなくたって、今、こんこんと感じるものがある。

 

―あなたを想うこと―
…これが、この想いが、私の、生きている理由。 迷子だった私の、命の価値を決めるもの。

 

「どこにも…行きたくない、私は、…こ、こに、いたい。」

 

視界から、色が消えて、狭くなった。自分の鼓動が弱くなって、なのにはっきりと響く。
外が感じられない分、それが、よく分かった。
それはきっと静治もそうで、私の終わりを感じられただろう。
これが、ここが、ここまでが、私の精一杯。私の体の限界なんだ。

 

「―絶対…忘れ、い。 ごめんね…一緒にいれ、くて…ご、んね、ごめんね。」

 

一万回ありがとうと言ったって、この気持ちの全部は伝わらないだろう。
一万回ごめんねと言ったって、この気持ちの深さは、やっぱり伝わらないんだろう。

 

「それでもいい…それでもいいんだ。 おまえはあの世で、俺はこの世界で、ずっと忘れずに暮らしていけばいい。
―もう、無理しなくていいんだ。 …ありがとう。」

 

私の言葉に、その人はそんなことを言った。
―嬉しさと、悲しさと、恥ずかしさと、悔しさ…、もう、こんな感情をなんて言っていいのかなんて、私には分からないけど、

 

「これからも、共に、生きていこう。」

 

ただ―私は、今私は幸せなんだって、…それだけを感じた。

 

「あは、は…ヘ、ンなの…私 も ぅ    い  き る     んて…。」

 

ただでさえ狭くなった視界が、滲んで滲んで、とうとう、何も見えなくなった。

 

 

 

 

「ど  ぅ か      忘  れ な  ぃで   」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そ    だ、

 

 

 

ど、

 

 

 

                                  かな、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                         ちゃ、  と、

 

 

 

 

 

 

                                         笑え、た、かな、、、、、

 

 

 

 

 

 

ありがとう―

 

                                               ―ばいばい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世界の終りで ―完―

 

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